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【創設期】
1962年三浦の明るい豊かな明日を志す青年が集い、日本青年会議所231番目の青年会議所 として、横須賀青年会議所(スポンサーとして)の尽力大きく組織されました。 当時の時代背景を振り返ると、遠洋漁業全盛期・マグロのまちとして名声を惜しいままにする生 マグロの時代であった。漁業に関る企業や商店など最も力強い時代に三浦青年会議所は組織され たのである。そもそも青年会議所の発祥は、戦後焼け野原と化した東京に始まり「新日本の再建は我々青年の 仕事である。更めて述べる迄もなく今日の日本の実情は極めて苦難に満ちている。この苦難を打 開してゆくため採るべき途は先ず国内経済の充実であり、国際経済との密接なる提携である。そ の任務の大半を負っている我々青年はあらゆる機会をとらえて互に団結し自らの修養に努めなけ ればならぬと信ずる。」(東京青年会議所設立趣意書原文)と産声を発し起ちあがったのであり ます。そして、地域社会への危機感やより良い社会構築の為の志しの輪はやがて全国へ拡がり全 国の青年会議所を結ぶ
【全盛~低迷期】
上記の創始の精神歪むことなく日本の青年会議所は全国各地で運動を展開しています。しかし、 戦後の状況を打破し、高度経済成長に躍起になる頃に、三浦青年会議所は設立されたのです。 国家が瀕死の状態であった時に現状を打破する為に起ちあがった本来の青年会議所とは違い、 行け行けの状態より始まったのであるから、根本がどうしても違う、時の状勢に不満や不安等 ない中でのスタートです。その危機感は創始の精神と少しづつずれを生じ、何時しか徐々に低迷の一途を辿っていったと 認識せざるを得ない状況となりました。漁業の衰退・大型超低温冷凍技術導入の出遅れ・手付か ずの交通網整備・マグロ漁船減船・人口の減少・青年人口の流出・会員数の減少・まちの低迷が 続き、日本社会は平成大不況・・・社会背景の影響大きく三浦青年会議所はどん底時代を迎えま した。会員数20名を切るぞ、会員だけでこそこそ集まる義務感のみで行なわれる例会、名ばか りのまちづくり、本来の目的を達成すべく行なうはずの事業が無い、会員意識の低下、政策実現 能力どころか政策立案・提言能力もない、すっかり衰退した三浦青年会議所になってしまった。 かつては、先駆けと成る世論調査を大々的に行い、全国でも高い評価を得て、その報告書「三浦 市民の意識調査」は書籍として国会図書館にも保管され、協力者の教授はこれが切っ掛けとなり 全国のJCから講演依頼が殺到した程で、その先見性や高い志は大層な青年会議所であったはず。 それが・・・・・前述の通りである。
【上昇期】
しかし、21世紀に突入しJCの名を語るに耐えない状況は、落ちる速度よりも早く上昇傾向へ と向かい始める。会員の拡大が徐々に成功し始めたこと、創立40周年の記念事業に向けて一丸 となり、自らの存在を広く社会に伝える為、明日の我がまち三浦の発展の一助を青年として担っ ていくんだと全力で走り始めた頃から、このままではいけないという活気に溢れる意識が作用し 始めました。また、全国に広がる青年会議所のネットワークとして日本青年会議所・関東地区協 議会・神奈川ブロック協議会など出向に対する意識が向上し、新たな風を取り入れるためにも存 在するJCのメリットを活かそうとする会員も増え始めたことにも良き傾向の発端はあると認識 される。そして、何とか青年会議所としての運動能力の強化向上の為にと、2006年に中長期 ビジョンが策定され「郷土愛あふれる潮響くまちを育む」をテーマとする運動が翌年2006年 より開始される。【青年会議所】
青年会議所は創設期に示す通り戦後の荒廃した日本社会に青年の英知と勇気と情熱をもち光明を 導くために「奉仕・修練・友情」の三信条を掲げ起ちあがった組織である。 組織力は日本全国各地に(2006年現在)740会議所・4万名の会員を有し、国際青年会議所には 112カ国が加盟し27万人以上の会員数である。アメリカ42代大統領ビル・クリントン他世界に名だた る著名なOBも多勢いる。会員の資格は、20歳から40歳の社会人である事が前提で、40歳に て卒業OBとなる。年会費を払い、例会への出席や各諸事業への参加義務がある。わがまち三浦に何が不足していて、何をすべきか、真剣に議論し自らが行動する事で地域社会の 発展的な変革に向け取組む組織であり続け、会員数の量より質・質より量、いや量は質を呼び、 質は量を呼ぶ。そう心から信じ、郷土愛をもち打ち寄せる波よりも強くエネルギーの如く 自らがリスクを背負って行動し続け、三浦を愛する同志と出会える事を願っています。
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